文化・芸術

2017年2月17日 (金)

ギャグの中身

このところ、TVを見ていてお笑いの内容が、30年前とすっかり変貌していることを感じる。
 昔はダジャレ、アホな言動、アクション、ナンセンスこそがお笑いだった。
今でもそれらの昔型の芸人、タレントはいるけど、番組の中心に据えてもらっていない。
じゃあどんな芸人が主導権を握っているのか。
 
 それは評論家型の芸人である。彼らは静寂の状態から自分で笑いを起こそうとはあまりしない。番組ではパネラーやゲストがこんな失敗をした、という体験をまず披露させる。
 
それを受けて、バカだなあ、それは全く○○と同じじゃないの、と論評する中で笑いを誘う。いわゆる「いじる」という芸風。
私はこれを評論型お笑いと位置付ける。
 
その論評が、如何に即興性に富み、比喩が面白くて、普通の人には思いつかないようなレベルであるか。
そこが、現在のお笑い芸人に求められている才能・資質だ。
 
なぜそうなってきたのか。ある時期から日本人は1億総評論家と言われはじめた。蘊蓄が流行し、一般人まで蘊蓄をたれるようになった。私もその一人だ。
お笑いファンの人々も、タレントたちの評論を始めた。そのうち、おもしろい評論をする人がテレビに出始めた。その中の一部が、芸人になっている者もいるし、過去は笑いを取っていたが、評論に回って人気が出てきたタレントも現れた。
結局求められるのは、笑いに対する、冷静な判断力や即興性に富む、評論能力だということ。
 
もう芸人もアホの坂田さんのような、昔ながらの芸風だけで食っていける時代ではないということ。
なぜそうなったのか。
 実はお笑い界も、他の分野からの進出を受けている。ジャニーズを見てほしい。
以前はカッコよくて、歌えて踊ればそれでよかった。でもアイドルもお笑いを求められはじめ、番組のMCも要求されるようになったのだ。
 
スマップはアイドルからお笑い界への進出の先例かもしれない。そうなるとお笑い芸人は大変だ。アイドルのお笑いの上をいくには、知性や発想で勝負せざるを得ない。
こうしてお笑い界の全体を見渡すと、その中心はアホなことをやっていた人から、それを評論するタレントに移ってしまっている。
論評型芸人も、そのスタイルの方が知的でステイタスが上だと思っているのかもしれない。
人を笑わせることは、難しいし、知恵もいる。
お笑いはいろんな才能のスタート、基本かもしれない。かつて駅前シリーズの映画で人を笑わせていた森繁久彌氏ものちにシリアスな俳優になった。
近藤真彦の物まねや、熱いおでんを口に含んで大騒ぎしていた、片岡鶴太郎氏は今や、俳優であり芸術家だ。
 
でも、だれかが基本的に、スタートとしてアホなことをしないと、評論もできないのだ。そこは大事である。アホなお笑いと、評論を同時にできる者が現在では強いのだが。
 
私は徹底的に人を笑わせ続ける芸人、例えば間寛平さんが好きなのである。彼は笑いを放出し続けるエミッタ―だ。
 
有吉、くりいむしちゅうはどんなんだろう。エミッターなのだろうか。
笑いにクリティサイザー・批評家はいらないと思うのだが。

2017年1月22日 (日)

歴史が動くとき

今日、卓球女子のシングルス決勝がありました。
ストレートに言えば、だれが日本で一番卓球がうまい女性かを決める試合です。
4連覇を目指していた、石川佳純さん(23歳)と挑戦者、平野美宇さん(16歳)の激突となりました。
平野選手はリオ五輪の時、サポート選手として、石川選手や福原選手たちと帯同していましたが、出場機会はありませんでした。彼女が果たしていた役割は球拾いなどの、援助でした。
このときの悔しさをバネに、この1年は相当の練習量をこなして、技術的にも成長を遂げてきました。先の世界大会で優勝したほどです。
 
一方の石川選手。個人的には同郷で、可愛くて、私は大ファンなのです。彼女も女王の意地があります。自分の座を脅かす若い選手は叩き潰す。それくらいの気概は当然あったはずです。
 
さて、試合が始まりました。若い平野選手は、とてつもなく早いストロークピッチと正確な打球を繰り出します。
勢いに乗ると、6ポイント連続奪取など、その強さを見せます。正直に言うと、過去の日本の卓球女子になかったスピード、技術です。
石川選手も返すだけがやっと、というシーンがありました。あるときは、平野選手のスマッシュに全然手がでなくて、打ち込まれたあとに、信じられないと顔が笑ってしまうシーンもありました。
 
それでも、あと数ポイントで試合が終わり、自分がチャンピオンになれるんだと考えた瞬間に、石川選手に点を取られて、逆転されそのセットを取られてしまいました。
このあたりが、さすがに石川選手の凄さです。
 しかしながら、苦戦しながら、平野選手がついに石川選手を打ち負かしました。
私はこの試合を見て感じました。卓球そのものが変わりつつある。平野選手の登場、台頭とともに、スピードが速まり、より攻め続けることが、これからの日本の女子卓球のスタイルになっていくのではないかと。
既存のスタイルの石川選手が、新しいスタイルの平野選手に凌駕されてしまったのです。
 
これは、音楽の世界に例えれば、ジャズのビ・バップの誕生に共通している現象です。
今まで王者として君臨していたテナーサックスのコールマン・ホーキンスが、天才児チャーリー・パーカーに、幾度となく繰り返されたジャムセッションの中で、ついに打ち負かされてしまった、あの夜の出来事によく似ているのです。
 
改革は新しいスタイルとともに出現します。これからの卓球は平野選手のスタイルをみんなが踏襲して、さらに進化を遂げると思います。
 
石川選手はどう出るか。スタイルは変えずに、平野選手の弱点を研究して、リベンジをはかるのか、新しいスタイルに挑戦するのか。
コールマン・ホーキンスはビ・バップのスタイルにも取り組んだそうです。さあ、大好きな佳純ちゃん頑張れ。

2017年1月 4日 (水)

天神さんに初もうで

元旦の夜、初詣に行きました。天神様とは菅原道真公のことを言います。

ここ太宰府は年始は交通規制がかかり、地元の車は昼間は国道3号線から向うの、大宰府天満宮側への侵入が禁止になります。

なので規制が解除された夜10時以降に、車でお参りするのです。

今年は家内と二人。息子たちはそれぞれ友人とお参りです。

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この写真の左側に屋根付きの白い建物が写っています。ここで昨年のお札をお返しします。正面の屋根付きの門の向うに本堂が見えています。門をくぐる前に水で手を清めます。


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さすがに夜は人も減っています。正面からお参りするには、並んで15分くらい待つのですが、短気なうちの家族は、横の方からひょいと出てお参りです。これは違法ではありません。横からになるぶん、ご利益が減るのです。それを承知の人は横からお参りします。

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横から写した本堂です。

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これは本堂に向かって左側のお守り・お札の売場です。昼間は本堂の右側の売り場も開いています。天満宮はこの時期が年に一度のカキいれ時ですから大変です。うちの家族はいつも福重ねの中とそれぞれのお守りを買います。

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 今年は特別に「商売繁盛」の木札も買いました。購入後はおみくじを引くルールです。私は小吉、家内は中吉でした。メガネを忘れた家内は、おみくじの字が読めず私に読ませたのでした。「お産、やすし」もう産まないって。

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そうそう、今年の年末年始、太宰府天満宮では珍しいことが起きました。

飛梅が年の明ける前に開花したのです。飛梅(とびうめ)って何かって?

 それでは説明しましょう。むかしの平安の時代、京都でのことです。
当時の右大臣・藤原業平(ふじわらのなりひら)が頭脳明晰で優秀な菅原道真をみて、「この男を放っておけば、私の地位をおびやかすに違いない」と考えました。

 彼は策略をめぐらし、菅原道真を冤罪に陥れ、大宰府への左遷を成功させました。

無実の罪の、傷心の道真公が、いよいよ明日、京都を離れるという日に、庭の梅たちに向かってこう言いました。

「東風吹かば 匂い起こせよ梅のはな あるじなしとて 春な忘れそ」

東の風が吹くころに、必ず咲いて匂いで庭をいっぱいにしてくれ。主人がいなくても、春の訪れを忘れてはならないぞ。

 さて、次の年。太宰府では、たくさんの梅の花が突然咲きました。この梅たちは京都から主を慕って、飛んできたのだと、言い伝えられています。

それで「とびうめ」

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飛梅の木の全景です。

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元旦の夜には9個の花が確認できました。年内には2個咲きました。新年を待たずして咲いたのは1970年代以来だそうです。

その原因は、・・・・暖冬だからだそうです。

今年も、皆様が大過なく過ごせますように。

2016年9月28日 (水)

ものまね番組

昨夜。塩尻のホテルで監禁状態。

要はやることはやったし、今はフリーだという状況。

私はこういう時は、ブログのアクセス内容の分析をしています。

 分かりやすく言えば、どの記事が一番アクセスが多かったか。あるいは検索ワードを調べて、SNSで知りたい言葉を何人の方が入力して、いかに私のブログに辿り着いたか。

 これを分析していると世の中の、いや違うオーディオ関連の方がたの、知りたいことが分かってきます。

私はそれを受けて、結構対応記事も書いています。そのあたり、お気づきの読者のかたがいらっしゃれば私も嬉しいのですが。

話は戻って、昨夜暇なのでテレビを見ました。「物まね番組」です。

物まねと言えば、大御所コロッケですが、この手の番組を登竜門として、うまく活用できて今は、一つのジャンルを確立している、コロッケにはそれほどもう、この番組は力を入れている対象ではないのかもしれません。

ベスト21位に入らないと、年末の大会の参加権が与えられない、という条件のもと、トップから3位以内に着けたコロッケはまあ御の字だし、別に無理してこの番組に出る必要もないのでしょうが、彼は背後にたくさんの、モノマネ芸人の育成を背負っているようで、彼らの面倒も見なくてはならないようですね。

基本的にコロッケは好きなのです。この番組でも、自分は上に行かないようにやや手抜きをしていた感も見て取れます。

多分、後進にチャンスをあたえることを考えているのでしょう。モノマネの芸能界での守備範囲拡大に、コロッケは視野を据えているのがよく分かります。

そしてこの番組を見て思ったこと。私はただの世間一般の批判精神旺盛なオヤジではありません。実は子供の頃から、モノマネをやっていました。パフォマーの視点で考えているのです。

先生の真似をさせたら白眉で、みんなが笑ってくれたものです。モノマネの基本はこうです。

 雰囲気を作ること。真似される対象(以下Ⓐ)が、普段いる場所、雰囲気をしつらえ、その状況を作り、それを観客にすり込むこと。

 それから、Ⓐがいつもみんなに言っている言葉を選ぶこと。

決めは、今からまさにその言葉をⒶの口調で言うんだろうなという状況に持ち込むこと。

 ここまで整えばモノマネは殆ど成功します。

今回の番組では、ホリという芸人が、コロッケたちを抑えてトップになりました。

 他の多くの出演者たちは、似てなさを補完するために、メイクに走ったり、衣装でカバーしたり、パフォーマンスに訴えたりと、あの手この手である程度のレベルまで仕上げてきます。

 でも私は、メークや、衣装を殆ど変えることなく、そのままの姿で、ひたすらモノマネに集中しているホリを見ていて、なかなかやるな、確かに似ているなと感心したのです。

 何人かのⒶを続けているときに、途中でマツコが登場しました。通常の芸人なら、マツコの風貌を衣装を交えて真似するのでしょうが、ホリは普段の恰好でマツコの声色をやりました。

これが結構似ていました。私は感心しましたね。彼は実力で真っ向勝負しているなあと。

 これ、最近の政治家にも言えます。政治家のあの人は、「私は頑張っていますよ、海外にもしょっちゅう出かけていますし」、まわりのメークならずアレンジに従ってパフォーマンスを過大に演じています。

 でもあの政治家はホリのように、自分単独でのアイデアや努力、単独での実力を示せてないなあと。

 それでもこんな狭い番組の世界でも、ホリが評価された、ということは正当な努力が、審査パネラー(彼らも芸能人)により正しく評価されたのだという、一抹の安心。そしてそれを見ていた視聴者の納得感。

これを政治の場でも、嘘っぽいものはNOと、みんなが言えるように拡大できればなあと思うのです。

正直、テレビ局の人間は、いつも考えていますし、馬鹿な人間はいないと思います。横やりを入れて来る人減の馬鹿さ加減は重々承知していると思います。ああ、また馬鹿が横やり入れてきたなと。みんなMになっているみたい。

そろそろメディアが結託して、政治的圧力を、ドカーンと外野席まで撥ね返してもいいんじゃないかと考えているのですけど。バカうるさい、Mはここまでと。

 問題なのは、私のこの話を理解できない国民たくさんいるということ。こちらのほうがよほど重症ですけど。

2016年3月 8日 (火)

意見を言おうⅡ

先日の次男の高校の卒業式に出席した家内の話だ。
校長が、同じ受験の最中にある自分の子息の、入学後の部屋さがしのことを話したそうだ。

 今の子らは、冷暖房完備のワンルームマンションが当たり前になってる。昔はそうじゃなかったと。決して快適と言えない環境で暮したものだと。

   子供達には、この訓話が不評だったそうで、家内も昔の話をされてもねえ、今の子には分からないからと。

    ふざけてはいけない。ただ昔話をしたいだけではないのだ。今は当たり前の
環境かもしれないが、とても恵まれていて、これらはひとへに親や周囲の人たちのおかげだと 言うことを理解して欲しいのだ。

   家内は、私が息子の部屋さがしのときに、昔のことをしゃべると、そんな話をさらしてもねえと言う。

   違う、今の時代がいかに恵まれているかを分からせるためにしやべってるのだ。

戦争の悲惨さも、大人が伝える義務がある。教えられずに、ぬくぬくと育った
ボンボンが、戦争オタクになり、政治家になってるから、たまったもんじゃない。

   むかしの話は声を大にして語るべきだ。

2016年1月 4日 (月)

私も画伯

いやあ、ウッチーさんのブログでコルトレーンの似顔をみせていただきました。

私も絵を描きますと、昨年から言ってた手前、ここらでひとつ作品発表と行きましょうか。

物入れから、小さな絵描帳を取り出し、3Bの鉛筆がないので、とりあえずBで。モデルはトランぺッターのジャズジャイアンツ。

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ちょっと恥ずかしいのですが。見てやってください。いやあ似てる似てる、フレディー・ハバード。いや実はクリフォード・ブラウンです。

Clifford_brown

モデルの写真は、あまりにも有名なこの1枚。私の絵は少し漫画チックになりました。

手が難しいですね。影の着け方も。モノクロでバックが真っ黒はむずかしい。

また、ときどき描いてみます。

2016年1月 1日 (金)

新年のあいさつ

皆さま、明けましておめでとうございます。

年末TVでやっていましたが、世界の国々の人達にインタビューしていました。

「世界はどうなるのか」という質問に、今後世界では戦争が始まり、民族ごとの貧困や、先進国内でのテロも頻繁に起こるだろうという回答がありました。

結局のところ暴力では平和は保てないということでしょう。個人の力では何もできないと考えがちですが、そうとも言えないと思います。

世界平和のことを、普段から知人と話し合うとか、選挙のときに自分の意思を反映させるなど、できることはいくらでもあります。

 今年は、新しい動きの胎動をすでに感じています。自分なりに考えて行動しようと決めています。

 さて趣味においては、今年は5極管イコライザアンプの進化形を1台作りたいと思っています。

 そして次は、管球式インテグレイテッドアンプ、つまりプリメインアンプを作ってみようと思います。

 あとは、健康に気をつけること。くらいでしょうか。家族の中で一番健康に気を付けるべきは自分であることは百も承知。

皆様におかれましても、今年一年、ご健康に配慮され充実した年となるよう祈念しております。

2015年12月31日 (木)

みなさま、今年一年ありがとういございました。

もうあと数時間で今年が終わります。

今年はいやな年でした。ろくなニューズがないので、新聞さえ読みたくなくなり、そのまま捨てる日が続きました。

来年は、本当に日本に住む人たちが、喜びにあふれる年になって欲しいものです。

この最近、テスターを落札しました。

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米国シンプソンの260という名品です。5千円で落札出来ました。

なんとなく見てると、スターウォーズに出てくるドロイドのようです。メーターに過電流が流れると、「Simpson」の文字の左横の白い突起が、飛び出します。

ブレーカーです。

目はつらくなっていますが、来年はこの機械を相棒に、また電気を測定します。

今年一年、ブログにアクセスいただきありがとうございました。

よいお年を迎えられますよう、来年こそ皆様に倖せが訪れますよう、祈念いたします。

2015年12月19日 (土)

人もビンテージ

「オーディオとともに私もヴィンテージになってしまった」

団塊-28号さんが、ご自身のブログに書かれていました。(勝手に転載してごめんなさい)

とても、重い文章であり、事実を突きつけられた気がします。いやあ、最近年取りました、

目がおぼつかない。歩きながらカバンを持っていても腕が痛くなる。駅の階段が登山のようだ。平坦な道でつまづく。恥ずかしい気持ちが後退して、何を言うのも平気。自分より若い人間の行動に腹が立つ。ちょっとここに置いておこう、が紛失の母である。すぐにやりたいが、そのうちやればいいかな、になった。主語動詞のない発言が増えた。あれあれ、それそれで家族と会話してる。

それでも衰えていないものがある。食欲、性欲、物品欲。

ああ、おそろしい。ビンテージになってるくせに、三欲を実現しようとする。あなおそろしや。犯罪だけは起こさないように、病院のお世話にはならないように、新聞記事にはならないように。

気を付けなくては。

2015年12月 2日 (水)

墓場鬼太郎

小学校の3年生のとき、友達から漫画の単行本を借りた。

表紙はカラーの光沢のある紙に主人公の姿、顔が描かれていた。

本は「墓場鬼太郎」だった。

中のページも読んでみたが、モノクロでなにしろ、「あっ、墓のなかから赤ん坊が・・」という吹き出しのセリフとともに、暗くよどんだ画風で、とても馴染めなかった。

途中でほうり投げて、その日はもう終わり。夜、布団の中に入ったはいいが、寝付かれない。

どうにも漫画の本の方が気になる。あの鮮烈で怖い主人公の顔の表紙が思い出され、本がおいてある方がとても気になる。本から何かの光線が発せられているような気がしたのだ。

なかなか寝付かれず、悶々としていた記憶がある。

 それが私と水木しげるの妖怪漫画との出会いだ。何年かたち、私も学生になった。水木しげるは戦争で南洋の島で敵の襲撃に遭い、片腕をなくしていることを知った。

さぞかし、戦争を恨んでいるのではないかと考えたが、どうもあからさまに、反戦活動をしているわけでもない。

漫画の授賞式などのパーティーでのことが雑誌の記事に書いてあった。立食パーティーなので当然、参加者は左手に皿を持ち、右手で食べる。

水木しげるは、左腕がないので皿はテーブルに置いたまま食べる。もちろん箸をもって右手で食べるのであるが、箸をいちいち高いところまで、持ち上げて口にいれるのが面倒くさいがために、彼は顔を皿に近づけ、つまり体を曲げて顔をテーブル上の皿に近づけ、がむしゃらに食べたそうだ。

全然まわりを気にせず、食べたいから自分のやり方で食べる。そんな人だったそうだ。

 水木しげるさんが、戦争に対してどんな意見をもっていたのか、ご自身は明確には口にしなかったが、彼の作品を読めばよくわかる。

戦争や軍隊の不条理さ、人間の弱さ。組織内でしかるべき立場や任務を与えられた人間の弱さ。つまり上官という立場が、本来の人間性を失い、組織の中で、自己の責任を全うすることのみを優先してしまい、納得できない命令を下し、敵や仲間を殺しても平気になってしまうという、人間本来の知性や優しさが消え去ってしまう麻痺した状況。

彼の戦争ものの漫画をよく読んで欲しいのです。作品の根底には、人が人を殺すことに対する、動かしがたい批判精神が貫かれていることが分かります。

鬼太郎は人間を脅かす妖怪と闘います。なんで人間の味方をするのだと妖怪たちは鬼太郎を叱責します。人間こそが我々を攻撃し、傷つけているのだと主張します。

鬼太郎は、悩みながらもこう答えます。人間は皆悪い人ばかりじゃない。お前たち妖怪のことを、よく理解している人の方が大多数だと。

妖怪を痛めつけようとする、ごく少数の利己的な人間たちは、確かに存在し、彼らが過ちに気づいてくれればことは解決するのだと。

 この鬼太郎の主張は、現在の複雑化した社会状況にも、符合していると考えるのです。善悪は立場を変えれば逆転し、何をどういう尺度で考えるべきかが問われています。重要なのは話し合いだと思います。話し合うことを無視して無理やり強行することはファシズムです。

私は妖怪百科事典を持っています。私は彼らを憎めないのです。人間のエゴやゆがんだ愛情や強烈な執着心が、妖怪に姿を変えていると考えれば、納得がいくのです。

いちばん好きな妖怪は「ぬらりひょん」です。生き様がひょうひょうとしてカッコイイ。死んでるのかな?「ぶるぶる」も味があります。ひっそりと自分の存在を人に知らせています。

水木しげるさん、安らかにお眠り下さい。今までのことに深く感謝します。

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