学問・資格

2016年3月 9日 (水)

大学今昔物語り

次男が今日、志望大学に合格した。一安心だが、なんだかんだで、モノと時間がかかってしまう。

2日ほど先に九州大学に友達が合格していて、なかなか落ち着けなかったと思う。息子も高校の先生から九大を受けるように言われていた。しかし気の小さな息子は、模擬試験で合格可能性が高く出ている学校しか受けたくないと、今回の学校を志望したのだ。

 実際には自分よりも成績が下の友達が何人か九大に受かっているのだが、気が弱いので仕方あるまい。落ちることが怖いうえに浪人もしたくないそうだ。仮に受けていたら落ちていたかもしれないし。

自分の頃を思い出した。もう40年前だ。当時工業高校生だった私は、卒業後市内の小さな企業に就職しようと思っていた。

2年生になるとき、突然親が大学に行かせてやると言い出した。それぞれが戦中戦後、苦労して貧しかった両親。二人とも高校さえ中退を余儀なくされていた。

自分の子には大学を出させてやりたいと思ったのだろう。ところが私は勉強嫌いだった。

中学のときに知能テストがあった。担任に呼ばれ「お前は知能テストの結果がすごくよかったのに何で成績が悪いんだ」と言われた。

正直に「勉強が好きじゃないんです」と答えたら、頭をげんこつでこづかれた。

なので高校を出たら働こうと思っていた。それが大学進学の話だ。

両親は条件を出した。うちはお金がないから、国立大学しかやれない。浪人は1年までは許す。但し予備校に通わせるお金はない。自分で勉強すること。

おそらく無学な両親は大学受験については全く無知だったと思う。受験は普通高校からが常識だし、実業高校の教科書の英語や数学は進学校と内容に各段の差があったし、まず困難だ。

もちろん現役時は不合格で見事に浪人生活に入った私は、親から知人に塾を経営している人がいるから、話を聞いてみればと言われた。

 「工業高校から国立はまず無理だから」冒頭にそう言われた私は、そのあとの言葉をほとんど聴かずに帰ってきた。近くの進学校の補習科(浪人のための)に通おうと、受験したが落ちてしまった。

 ここで私は行き詰った。そしてゆっくり考えた。

結論は、「誰にも頼らず、独学で、自宅浪人して合格を目指す」であった。

それから1年間、本当に勉強した。まず問題集を見ても解けない。どうしたか。回答集にある問題の解き方を丸覚えしていった。頭が悪いのだから、自力で解ける訳がないのだ。どんどん解き方を詰め込んでいった。

本当に頭のいい子は、一回文章を読むだけで理解できるそうだ。理解力のない私は、何度もなんども書いて覚えた。

 模擬試験。近くに会場はない。遠くまで出かける交通費もない。なので自宅回答。

時間通りに試験問題を自分の机の上で解き、もちろん参考書は見ないで、封筒に入れて送り返した。自宅模擬試験は3回だけ受けた。

 最期の模試では、B判定が出た。50~75%の合格可能性だ。

そんなこんなで1年間毎日10時間自宅で勉強していた。何しろ丸三日家から出ないこともあった。姉は私を家ダニと呼んだ。同じ年頃の女の子と話をすることもなく、大事な青春時代の1年を家ダニとして過ごした。

九州の南にある国立1期校を受験した。はったりをかますのが好きだったので、ホテルから受験会場には、筆記用具を風呂敷に包んで持って行った。

受験から帰宅した私は母に、受かりそうかいと聴かれた。この時もはったりをかました。問題は受かるかどうかでなく、何番目の成績で受かるかだ。今思えば親相手とはいえ、よく言ったものだ。本当のところ手ごたえは分からなかったのだ。

合否電話を、頼んでおいた。2週間後に合格の連絡を聴いたときは、体が宙に浮くくらい嬉しかった。

 父は知人から、息子さんは工業高校から1期校に受かったそうだが、どんな勉強をしたのかと聴かれた。おそらく自分の息子さんの参考にしたいと思ったのだろう。

家にずっといて、参考書と問題集で勉強していたと答えたら、信じられない顔をしていたそうだ。

 実はこの経験があるから、私は今怖い物がない。戦争が始まって手足が吹っ飛ばされることくらいだ。歯を食いしばって長いあいだ苦行に耐えた僧侶のような心境だ。

 但しこの経験もよくない面があった。私は人に頼らずに何でも自分でやることが重要だと思い込んでしまったのだ。これは失敗だった。

大人になったある時期、この考えを改めた。人に助けてもらって人は活かされるということ。人の情けをずっと断っていたが、一度困って親切に甘えたことがある。何と助けられたことか。それ以降私はまともになった。

それで今回の次男の合格である。家内は大きな教育産業で働いていたこともあり、教育熱心だ。

息子が塾に行きたいと言えば、通わせ、集中ゼミで講義代が必要とあれば、振り込む。模擬試験を受けたいと言えば何度も何度も受けさせた。

それを見ていて、私の普通でない受験体験を語り始めると、家内は嫌がる。時代が違うと。

息子は絶対大学に入らなければならない宿命を負っていた。周りの人達からも期待されていたし、辛かったかもしれない。

反面私は1浪で失敗したら、大工か寿司職人になろうと決めていたので気楽ではあったのだ。

 

2016年2月 6日 (土)

昔に還る

この3年前から、大学時代の友人に年2回の周期で会っている。

寮で一緒だった男で、実家は福岡県南部の町だが、今は石川県で高校の先生をしている。

彼が盆と正月の帰省のときに、ちょうど私のうちと彼の実家の中間にある、久留米で会うことにしている。

最初は思い出話をするときに、人の名前がお互い出てこなくて困っていたが、何度も会って同じ話題を繰り返していると、名前もスラスラでてくるからおもしろい。

それで昨年、宮崎に行こうということで、高千穂、日南旅行を敢行した。

そのときに、あいつはどうしているかなあと、話題に登ったもう一人の男がいる。来年はあいつも誘おうと。

しかしながら、音信不通である。物理学を専攻しながら、実家の都合で地元の信金に就職したというのは聞いていた。

友人がその男の名前で、ネットを検索し続けていたら、ある銀行の人事がみつかり彼の名前が出てきた。事務部門の部長をしているらしい。

私に連絡してほしいという。高校教師はいきなり銀行に電話するのが苦手らしい。そこで私が、昨日移動中に電話した。

女性が出てきた。その男の名前を告げると〇〇部長は今日は会議で出ていて戻らないと言う。私は名前と携帯番号を告げ、連絡して欲しいと伝えた。

帰宅してしばらくしたら携帯が鳴った。あいつだった。 

いつになく携帯で長電話してしまった。お互いの過去から現在の状況を伝え合った。

彼も私生活で苦労したようだ。能登半島に旅行に行こうと告げた。土日も出勤することがあるが行きたいという。

 何とか都合着けていこうと伝えた。

60歳前になると、どうも若いころの仲間が恋しくなる。みんなそうみたいだ。確かに20歳前後の頃、一緒に笑って、泣いた仲間にもう一度会いたいと思う。

自己確認なのだろうか。みんなが元気で今を過ごしていることを願う。会えばそれぞれの家族の話も聞きたくなる。

過去が点から線になり、現在につながり、そしてみんながまた現れ、面になっていくのだろう。

 これは絶対にいいことに違いない。

2016年1月21日 (木)

高校生の政治活動

困っているのは高校教師だと言う。

国が18歳に選挙権を与えたということは、当然彼らの政治活動を認めたということです。

では学校の中で、どこまで活動していいのか、ということになります。昼休みに

「私は共産党の志位さんが言うことは、正しいと思うし、貴方にも志位さんの演説に一緒に行って欲しいと思うの。憲法を踏みにじる政治家は許せないの」

「冗談じゃないわよ、安倍総理の言うように、日本は国家を重視して、国体、日本の利益を優先して、アジアの他国に経済でも負けないように、強い日本を維持しなきゃだめなのよ。そのためにアメリカと一緒に戦争に参加することもやむを得ないのよ。死ぬのは自衛隊員だし、国民みんなが不利益を被るわけじゃないのよ」

「世界平和はひたすら拝むのよ、うちの宗教団体にいらっしゃい、いいことあるから、すこしでもいいことがあれば、それは貴方の信仰心のおかげよ」

私は、学校で何を発言してもOKだと思っています。学校の運営に悪影響をおよばさなければ。

すべての事態を考慮したうえの18歳選挙権ですから。

2013年4月 7日 (日)

息子バカからの脱皮

長男は短気である。でもって気が小さく心配性。

心配性ゆえ、短期かもしれない。でもバイトは塾の講師。小学生から高校生まで担当。

 人をきちんと教えられるのか疑心暗鬼。

なにしろ、帰ってきてはやる気のない子の悪態をつく、クレームをつけてくる親御さんを罵る。

 

 彼は2CHのアクセスの常連。最近まで発言の内容、言葉が2CH用語そのものでした。

父として彼に言ったのは、あの場にいる人達は、耳目を集めることに血道を上げている、その結果極端な発言をエスカレートさせ、誰かを罵って自分の意見に関心があつまることで、普段のストレスを解消させてるのだろうと。

「あの世界の言葉を日常で使うな、お前自身が変な目で見られるぞ」と。

 

 最近になり、彼の言動に変化が現れました。

曰く「人は感謝しなければならない、おれはみんなに感謝する」

曰く「もう2CHはお気に入りから外す」

何があったのか。

この春休み、九州南部の大学に通っている幼馴染のところに遊びに行ってきました。一日目、部屋に幼馴染の所属するジャズ研の連中が押し掛け、酒を飲んだそうです。隣県のジャズ研の連中も合流し、楽しかったそうです。

 

 帰ってくるなり、酒飲むっていいよねと。

それからある本を読んで、人は感謝しながら生きないとだめだ、とか無目的な、最低な生活はおくりたくないと。

19歳でコロッと変わることもあり、精神的に変化するものなのですね。

 ついでに、私が仕事で大学生相手のセミナーを開こうと募集広告の原稿を長男にみてもらったら、

「業務指示書みたいで目を引かない。もっと世の中によくある広告を見た方がいい。ワードアートとかふんだんに使ったほうがいい」

との意見でした。なるほどなあ。塾のポスター作りも経験しているようだし、参考になりました。

ここは素直に、ありがとう参考にするからとお礼を言いました。私からお礼を言われたことがまた嬉しかったようです。

 知らないうちに、少しずつ成長はしているみたいです。気が付けば追い抜かれているかもしれません。こっちも老化してるし。

2012年1月26日 (木)

センター試験

長男がセンター試験を受けた。

1日目は得意科目が多く、まあまあだった。2日目理科でこけた。平均点すらとれていない。それで理系志望だから大変だ。

もともと心の小さい息子は一週間くらい大声をあげて、嘆き、悲しみ、家族は本当に疲弊してしまった。センター試験なんて受験生の家族にとって大迷惑だ。日本中で迷惑を被った家族が10万人程度いるのではないか。

息子はさておき、センター試験では不手際で3千人以上の受験生が再試験をうけた。

どうも担当の試験官が、自身の業務や試験の運用内容を理解していなかったのが原因のようだ。

私はセンター試験は必要ないと思う。それらのデータが何の役に立つのだろうか。

 どうせセンターなんて文科省OBの天下り先になっているのだろう。センターの上の人間がいい加減で仕事をしていないのだろう。試験官の不手際で再受験のはめに陥った受験生の気持なんて考えてもいないのだろう。彼らにとっては人生がかかっているのに。

上がいい加減であれば、当然下の人間も真似をしていい加減になる。それが組織というものだ。

もうやめてしまえ。何の意味も無い。金がもったいない。家族が迷惑。(怒)

2011年3月 3日 (木)

携帯不正受験

京都大学などで、携帯電話を使って、入試問の回答を外部に依頼する、という不正を働いた受験生が現在取調べを受けています。

 携帯使用者のIPアドレスが、完全にプロバイダーに管理されているため、個人の特定なんか容易なことです。

そんなことも想像できない人間が京都大学を受けること自体間違っています。

 現在はなんでもネットで教えてもらえます。確かに便利です。辞書を引かなくても、本を開けて捜さなくても、ネットで質問すれば、誰かが回答してくれます。

またこの回答者が自分の回答が数ある回答の中で「ベストアンサー」に選ばれると特典があるとのことで、一生懸命教えてくれてるようです。

 うちの息子も、分からない漢字をすぐに聞いてきます。辞書で調べろといつも言っているのですが。

自分で苦労しないと身につかないものです。逆に手間隙かけた苦労こそが知識になります。それを放棄すると人間成長しません。

もしこの受験生が、仮にまんまと不正で合格しても、今後とも人生の節目ごとに、ネッにアクセスしてお世話になるのでしょうか。

 大学での定期考査、入社試験、国家資格試験、はてはお見合いの場でネットに、「こんな女性ですがお付き合いを進めていいものでしょうか」と。

2010年1月 3日 (日)

ハウトゥー本の読み方

書店に行ってみた。興味があるのは、企業経営のリスクマネジメントと電子工作、オーディオと、ジャズと、語学の本。

文芸などとは縁がなくて、ハウトゥー本が主体です。

同じジャンルで同じ目的の本が3冊あれば、じっくり見比べます。

気をつけているのは、①読んでてすんなり理解できる文章か。 ②著者の体験が書かれているか。 ③役に立つノウハウが豊富か。

さけるべきは、他人の本を数冊よんで、まとめ直した、焼き直し的評論本。

そしていよいよお金を払って手に入れたら、読むのは最低3回としています。

まず、実践前の手引きとして。実践後に確認として。最後は自分ならここはこう書くなあ、とその本をよりよいものにするための研究のため。

最近はお金を払って購入したいと思う本が減っていますね。

2009年12月11日 (金)

これからの理科の教材

子供たちの理科離れがどんどん進行しています。

学研の昔からの小学生向けの科学雑誌の休刊も決まりました。子供たちの理科ばなれは子供たちが興味をもたないのが悪いとお考えでしょうか。

どうやらちがうところに理由があると考えます。携帯電話やゲーム機。いまや子供たちの多くがこれなしでは生活できないところまで普及しています。

昔の子供たちは物がなく、自分で考えて、道具を使って、自分で作って遊んでいました。考えることが本当に重要で手を使うことも重要でした。

現在のハイテク機器はどうでしょう。考えることはあまり必要ありません。せいぜい使い方を覚えるだけ。物事を考えるのに必要だった時間は、その機器で遊ぶ時間にとって代わられています。

今の状況は端的にいえば、考えることを子供たちから奪っている状況です。このままでは子供の理科離れはどんどん進みます。皮肉なことに理科や自然科学にせっせといそしんでいるのは、これらハイテク機器の開発をしている大人だけになっています。

そこで提案。理科の教材にこれらハイテク機器に使われている、科学技術を加えるのです。よくよく考えてみればハイテク機器は学習の教材の宝庫です。

半導体、デジタル回路、ソフトウェア、液晶技術、通信技術、センサー技術、魅力的な分野ばかりです。

基礎物理学(力学、運動エネルギー等)に加え、応用理科学(上記科学技術)を学校で教えるのです。

子供たちは興味を示すはずです。ロボット(メカトロの集大成)をつくる分野も一部の同好の志(高専)を中心に確立されつつあります。

使う側から作る側の人になってもらいたいと願っています。指は押すだけのものではなく、ドライバーや半田こてやテスターを握ることに使って欲しいのです。

2009年10月 6日 (火)

小学校の電子黒板

政府の財政切り詰めで、小学校に備え付ける予定だった、電子黒板が発注できなくなったとの報道。

電子黒板は、教科書そのものを映し出し、アンダーラインも手の感覚で引けるそうです。

だけどよく考えて欲しいのです。電子黒板がなかったころ、日本の子供の学力が世界で上位だった時代があります。

それよりも全国の小学校を見て回ると、校舎の耐震工事さえままならない地方の自治体もあります。さらには外の体育館横のトイレは水が詰まって流れないなど、不自由な状態のところも多々存在しています。

東京の中央ビルの一室の机上で、電子黒板の発注先を決めている、役人の方は全国の小学校の現状を見て回ったことがあるのでしょうか。我々が買ってやってるんだぞという上から目線を感じます。

電子黒板以前にやるべきことがたくさんあります。どうも電子黒板のメーカーと協同で税金をそちらのほうに意図的に使おうとしているように思えてくるのです。

そのメーカーとの過去の契約形態と発注回数をよく調べて欲しいものです。必要なものこそ最低限の財源確保で対応すべきだと思います。

2008年7月23日 (水)

日本人が英会話が苦手なわけ

小学5年の次男が英会話をならっています。田舎故、そんなもの習っても役に立つときがくるかも、分からないし、何年間かやってても、数年間中断したらまた0に戻るに決まってると、私はあまり気乗りしなかったのですが、2年くらい続いています。

そんな折、所属しているサッカーチームに夏休みだけ、アメリカから日本とスウェーデンのハーフの男の子が加わりました。息子と同い年の彼のミドルネームはナオト、お母さんの母国語である日本語もOK、もちろん普段は英語です。サッカーもうまく、息子はナオトにくっつきっぱなしで英語でしゃべったそうです。帰ってきてからはナオトの話ばかり。よっぽど英語で会話できたのが嬉しかったようです。

そして息子は言いました。「やっぱりお父さんの言ったとおりだった」「僕が間違った英語をしゃべってもナオトは全然笑わずに、正しくはこうだよ、と教えてくれた。だけどナオトが日本語をまちがったら、みんなケラケラ笑うんだ。失礼だよね」

ここに日本人が外国語が上達しない原因があります。つまり、日本人は間違えれば相手から笑われてしまう、という意識が強く根付いています。人の間違いを笑いのネタにしてしまうという風土が原因です。だから外国人にも笑われるのがいやで英会話なんかやりたくないと考えてしまうのです。しかし実際は、外国人は相手がまちがえても決して笑いません。初心者は間違えるのが当然で、だからきちんと教えてあげたいと考えているのです。

上達したければどんどんしゃべること。これに尽きます。日本人が人の間違いを笑うのは日本人同士だけにできませんかね。世界に出ると恥ずかしい気がするのです。

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